2009年03月26日

戦前の道路標識(道路警戒標)が高松市で発見された!

四国の隧道・廃線・白看などを探索されているマフラー巻きさんのBBSに、高松市内で戦前の道路標識(道路警戒標)が発見されたとの情報が書かれていました。

国土交通省道路局の「道路標識の歴史」や、道路標識メーカー「キクテック」が2001年に開催されたインパクに参加したときのコンテンツ「道路標識の変遷」で道路標識の歴史が紹介されていますが、日本の道路標識が正式に法令で規定されたのは大正十一年内務省令第二十七号「道路警戒標及道路方向標ノ件」になります。
(この省令は昭和十七年内務省令第二十四号「道路標識令」が制定されたことにより廃されました。)
大正8年制定の道路法の記述に道路標識が道路の付属物として位置づけられていることから、それまでにも道路標識はあったようですが、省令などで様式が統一されたものではなかったようです。

この大正11年制定の省令では「道路警戒標」(現在の警戒標識に相当)と「道路方向標」(現在の経路案内標識に相当)のみが制定されました。
現在の道路標識は、道路管理者(国土交通省、都道府県、市町村)が所管・設置する案内標識および警戒標識と、交通管理者(公安委員会)が所管・設置する規制標識および指示標識に大別することができます。
大正11年の省令では、道路管理者が所管・設置する標識が制定されたことになります。
この省令「道路警戒標及道路方向標」の具体的な内容は、土木学会付属土木図書館のデジタルアーカイブスから、戦前の雑誌「道路の改良」第5巻第1号(大正12年6月)で見ることができます(141ページから144ページ)。

このほど高松市で発見された標識は「屈曲多シ」となっており、省令制定時に例示された様式には具体的に書かれていませんが、「第一條」の条文を解釈する限り条文の内容に沿ったものであると言えそうです。


前置きが長くなってしまいましたが、標識の実物を写真で紹介します。 (2009/03/20 取材)

標識が設置されていた場所は、高松市(旧塩江町)の市道(旧R193、旧塩江街道)沿いです。

ここから旧道に入る
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1.5車線幅の狭い旧道を行くと、前方に何やら見慣れないものが見える
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近づくと、そこには…
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さらに近づき…
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もう1枚、左右の状況が良く見えるように
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三角板部分のクローズアップ
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標識板部分のクローズアップ
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斜め後ろから見ると、紐と針金で電柱に縛り付けられている
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針金で縛り付けられた部分で標識板が湾曲しており痛々しい
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土台は無く、新しい盛り土に差し込まれているだけ
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使われているネジ、標識の錆び付き具合からして、昭和17年以前に立てられた真正の標識である可能性はかなり高そうです。
戦時中の金属供出から、よくぞ免れて残っていたと感動ものです。

ネット上でいろいろと検索してみましたが、大正11年の省令による道路標識の実物は、この高松市の標識以外は出てきませんでした。
そもそも、昭和25年の道路標識令以前の標識すら実物は出てきません。
もしかしたら、この標識が現存する唯一のものかもしれません


標識の前で、近くに住んでおられる方に話を聞くことができました。
電柱が2本並んで建てられ、標識は新しい電柱に縛り付けられていますが、電柱の立て替え工事が現在進められているところで、新しい電柱はつい最近建てられたばかりとのこと。
新しい電柱は標識が立っていた場所に建てられたため、標識の土台が壊されて標識も抜かれてしまったそうです。
新しい電柱を建て終えた後に、工事をされていた方が標識を盛り土に差し込み、針金で新しい電柱に縛り付けたとのこと。
まさに、消滅寸前危機一髪の状態だったようです。
まだ、電線の移設と古い電柱の撤去工事が残されているため、今後この標識がどうなるのか心配です。

高松市教育委員会あたりに保護してもらうか、あるいは古い道路標識を集めているキクテックに手を打ってもらうか…
posted by いしぐろ at 21:06| Comment(0) | TrackBack(1) | その他の旧標識 | 更新情報をチェックする

2009年01月31日

東京国際空港整備場地区(旧)入口

2ヶ月ほどブログ更新をサボっていました m(._.;)m
去年3月に撮影した写真ですが…

首都高羽田線の空港西出入口。
今では利用する車も少なく閑散としていますが、1993年の東京国際空港(羽田空港)沖合移転前は空港ターミナル直近にある首都高出入口であり(名称も「空港出入口」だった)、東京への表玄関のひとつとして通行量も多く賑わっていました。



空港西出入口がある場所は旧整備地区の入口でもあり、交差点には旧形式105著名地点の地点案内標識「羽田整備場」が設置されています。

標識は空港西入口前の交差点に設置
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かなり年期の入った表面
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東京モノレール整備場駅の桁下に吊り下げられている
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整備地区の主要施設が首都高湾岸線沿いの新整備地区に移った現在でも、一部の施設は旧整備地区で稼働しており、この地点案内標識もまだまだ現役として役に立っているのでしょう。

旧整備地区は特に通行制限などの規制は行われていない
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旧整備地区の入口には廃墟となった守衛所が残されている
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この守衛所は、いつ頃まで現役で使われていたのでしょう?

【追記】
ところで、空港西入口から首都高に入ると海老取川をくぐる羽田トンネル手前で首都高羽田線本線に合流するようになっていますが、1990年代には合流渋滞を回避するために海老取川に羽田可動橋が架けられて、空港西入口から入った車はそちらを通るようになっていました。
現在では湾岸線が開通したことにより羽田線を使う車も減り、空港西入口から入る車も激減したため、可動橋は使われずに休止設備となっています。
機会があればこちらも取材に行きたいと思います。
posted by いしぐろ at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の旧標識 | 更新情報をチェックする

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